大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都地方裁判所 昭和61年(ワ)1077号 判決 1989年4月26日

主文

一  被告が原告に対し昭和五六年九月一日付をもってなした部長解任格下懲戒処分は、無効であることを確認する。

二  被告は原告に対し金二四二万円及びこれに対する昭和六一年六月一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを二分し、その一をそれぞれ原被告の各負担とする。

五  この判決第二項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者双方の求めた裁判

一  原告

(一)  被告が原告に対し昭和五六年九月一日付をもってなした部長解任格下懲戒処分は、無効であることを確認する。

(二)  被告は原告に対し金一一六二万円及びうち金二六二万円については昭和六一年六月一日から、うち金九〇〇万円については昭和六二年七月一六日から支払ずみに至るまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。

(三)  訴訟費用は被告の負担とする。

(四)  仮執行の宣言。

二  被告

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者双方の主張

一  請求原因

(二) 被告は、水産物の卸売を業とする株式会社である。

原告は、昭和二四年三月二二日被告に入社し、配分課に配属されるなど主として営業の分野に配属され、昭和五〇年には営業鮮魚第一部長、同五三年から五六年までは営業管理部長の地位にあったものである。

(二) 被告の懲戒委員会は、原告を昭和五六年六月一三日、同月二五日、同年七月三日、同月一三日の四回にわたり呼び出し、原告の妻名義のホテルの問題及び株式会社梓の設立等について調査をなした。

(三) 被告は、原告に対し昭和五六年九月一日「就業規則五四条二号、八号、九号により始末書をとり、格下に処し部長を解く」(以下、本件格下処分という)旨の辞令を手交した。その際、当時の社長であった飴谷弘一は、通告文を口頭で読み上げ、降格理由につき、以前被告が承認している事項につき事実と異なる内容の不実の記載をもって被告の承認を得たことが被告の信頼関係を破壊する行為、と言うだけで、四年前に承認済の株式会社梓の件だけを問題にし、妻名義のホテル経営については何ら理由として触れなかった。

(四) しかしながら、本件格下処分は、次の理由により無効である。

原告には、就業規則五四条二号に規定する「就業規則の定めに違反しその程度がやや重いとき」、同条八号に規定する「前各号に準ずる不都合な行為があったとき」、同条九号に規定する「前条各号の行為が再度におよんだとき、または情状が悪質と認められたとき」に該当する事由は存しない。

被告は、眞田社長から飴谷社長へという社長交代の中で後任社長のために社内事情を熟知掌握している原告の手腕を却って邪魔物扱いにし、原告を企業外に放逐するため格下理由を虚構したのにすぎない。

よって、本件格下処分は、懲戒処分権の濫用であり無効である。

(五) 被告の賃金規定一九条職責手当の規定によれば、部長手当は一箇月三万円であり、昭和四九年九月一日から現在まで変化はない。原告は、就業規則により昭和六一年三月三一日をもって定年となり、現在二年間の勤務延長の身である。就業規則一五条により勤務延長の時に職位は当然引き継がない。

従って、本件格下処分は無効であるから、原告は、被告に対し昭和五六年九月分から同六一年三月分まで五六箇月分一六二万円の過去に既に発生した部長職責手当請求権を有する。

(六) 被告は、昭和五六年七月一日から同六一年四月一日までの期間、原告を通常の従業員としての扱いを一切しなかった。すなわち、昭和五六年七月一日宮本人事部長は、原告に対し今後は職制に属さない旨を通告したが、昭和六一年四月一日に至り、道端人事部長は、原告に対し職制に戻す旨の通告をなした。右期間内の具体的内容は、次のとおりである。

1 辞令の不交付

右期間一切配転、賃金変更の辞令が交付されなかった。

2 仕事の内容の差別、いやがらせ

右期間は、所属する部署の正規の仕事を一切させなかった。宮本人事部長は、原告に対し指示以外の事はしてはならないと通告した。本を読むことすら禁止した。そのうえで昭和五六年七月二日から九日までの一切の仕事を与えなかった。

その後も宛名書、調査カードの作成などの単純作業をそれもごく少量の仕事しか与えなかった。

3 賃金差別

昭和五七年四月から一般従業員より大幅に低い賃金しか支払わなかった。

4 仕事机の配置上の差別

昭和五六年七月一日から同六一年九月までことさら常に一般従業員と机を並べさせず、常に一人にさせ、昭和五七年七月一日から同五八年六月三〇日まで原告を事務所の西南角の西壁に向け座らせた。

5 文書回覧上の差別

右期間中、人事編成表、市場新聞、社員の家族の葬儀の連絡等の文書が回覧されなかった。

6 その他の労働条件に関する差別

(1) 一時金支給の説明会を毎期するのが恒例であるが、原告だけは呼ばれていない。

(2) 昭和五九年度夏休みが一部とれなかった。

被告は、昭和五九年六月二一日全社員に対し文書で七月一日より夏休みを実施する旨通知したが、原告に対してのみ通知がなかった。原告は、夏休みがないと思っていたら、七月二四日上埜専務との話で七月一日から既に夏休みがあることがわかった。

(3) 昭和五九年新事務所に替った際、職員専用大便所に鍵をかけることになったが、その通知が原告にないため会社で一切大便ができなかった。

右各行為は長期にわたる一連のもので、全体で一個の不法行為を構成する。原告は、被告の右のような悪質な不法行為によって、甚大な精神的苦痛を蒙った。その損害は少なくとも金一〇〇〇万円を下らない。

(七) よって、原告は、被告に対し部長職責手当金一六二万円及び前記不法行為に基づく慰藉料金一〇〇〇万円のうち金一〇〇万円については訴状送達の翌日である昭和六一年六月一日から、金九〇〇万円については訴変更申立書の送達の翌日である同六二年七月一六日から、それぞれ民法所定の年五分の割合による金員を附加して支払えとの判決を求める。

二  請求原因に対する認否

(一)  請求原因(一)の前段の事実は認める。同後段については争う。

(二)  同(二)の事実中被告の懲戒委員会が原告を昭和五六年六月一三日及び同月二五日に呼び出したことは認め、その余については争う。

(三)  同(三)の事実中被告が原告に対し昭和五六年九月一日「就業規則五四条二号、八号、九号により始末書をとり、格下に処し部長を解く」旨の辞令を手交したことは認める。その余については争う。飴谷社長が読み上げた通告文は、次のような内容であった。

「貴方の行為が、就業規則に抵触するとして、委員会において審議されたのであるが、その結果会社としての措置について、申し上げる。

以前(五二年九月三〇日)会社が承認している事項(他の役員兼職)について貴方は、事実と異る内容の、不実の記載をもって、会社の承認を得たことは、会社との信頼関係を破壊する行為であり、誠に遺憾である。

従って、会社は社内の企業秩序を保ち、維持せんが為、また、社員の公正を期すべき必要上、信義、誠実を遵守すべき、基本理念に基づき、社内措置を行うものである。

なお、私行上においても、他に疑問視されるような行為は、当社従業員として在籍する以上、謹慎することを、付け加えて忠告して置く。」

(四)  同(四)(五)については争う。

(五)  同(六)前文については争う。

(六)  同(六)1については争う。被告は、辞令を発令簿と割印のうえ交付している。

(七)  同(六)2については争う。原告は、昭和五六年七月一日から同六一年三月三一日までの期間、いわゆる専務付、部長付であって、本来の職制ではないので、所属部署の正規の仕事は特に定められていない。従って、指示された事項とこれに関連し必要とする作業をすることになるが、原告は、指示された宛名書及び調査カードの作成すら十分にしなかった。

原告は、部長の職位についた者であるが、その性格の偏向性が顕著となり、部下その他の係員の信頼を失い、原告と共に仕事をする者を見出せないので、他に配転しようとしてもできず、結局組織の中にあって作業するのは困難であったからである。

(八)  同(六)3については別件において解決ずみである。

(九)  同(六)4については争う。原告の机の位置は、荒木専務の横隣で白壁であった。原告は、荒木専務付であってその近くに位置すべきところ、荒木専務と同方向に机を並べるのでは、他の役員、管理職席と同列であって妥当ではなく、一人離れたのは、他の従業員らが原告と机を並べるのを好まなかったからである。

(一〇)  同(六)5については争う。人事編成表、市場新聞等は、従前から管理職以上にのみ配付され、その他の者に配付されないのが慣行であり、原告のみを差別しているものではない。社員の家族葬儀等の告知は、社員食堂にその都度掲示されるのが慣例であり、原告を差別しているものではない。

(一一)  同(六)6については争う。一時金支給の説明会というものは、今までに開かれたことはない。また、職員専用大便所の鍵の点については、原告のみの問題ではなく、その使用については、原告自身で問い合わせれば解決することである。

三  被告の主張

(一)  原告に対する本件懲戒処分の経緯の概要は、次のとおりである。

1 被告の就業規則二三条一一号には、その従業員は「会社の承認を得ないで在籍のまま、他に就職しまたは自己の営業を行なわないこと」を遵守しなければならないことを定めている。

2 ところで、原告は、その妻神尾順江が「梓」なる名称で喫茶店を経営する訴外株式会社梓の取締役に就任する予定であるとして、昭和五二年九月三〇日書面で被告にその承認を得べく、願出書を提出してきた。その願出書には、原告は無報酬である旨が記載されていた。

3 そこで、被告は、原告が取締役に就任するのも多目的なもので、特に訴外会社に労務を提供したり等するものではないと判断し、原告に被告従業員としての遵守事項に違反することのないよう、この旨の原告の誓約書をもって、これを承認した。

4 ところが、昭和五六年になって判明したところでは、原告は昭和五二年九月三〇日現在、前記訴外会社の取締役に就任する予定どころではなく、右会社は昭和五二年八月八日には設立されており、原告はその設立当初から単なる取締役ではなく既に代表取締役(登記済)に就任していたのである。

そしてまた、右訴外会社は喫茶店だけではなく、不動産仲介業等の事業をも行うものであることが分かった。

5 そこで、被告は、原告の当時の被告におけるいわば指導的地位にも着目して、前記願出について右虚偽の申告は重大なものであると受け止め、社内の所定の手続を経て慎重に、被告就業規則五四条二号、八号、九号によって本件懲戒処分を行ったのである。

(二)  原告は、昭和二〇年代の後半のころより一〇年余りの間に、仕入値段の不正な操作等により、約五〇〇〇万円を取得するなどしており、その職場も被告の他の社員に比し、珍しく多く配転回数を重ねていたのである。しかし、眞田健三社長の時代になり、同社長が原告の過去の業務態度等を不問にして、鮮魚第一部長に、いわば抜擢したのである。しかし、結局のところ、折角抜擢をうけながら、原告の性格が偏向していて、却って横柄となり、部下の不信感が増大し、原告と協同する者がいない状態となった。

そこで、被告の組織の中では、原告は、部長という管理職としては不適任であることが実証された状況にあった。

右の事実は、本件懲戒処分の、いわば情状として勘案されてなされたものである。

四  被告の主張に対する原告の反論

(一)  株式会社梓の設立時期に関する理由の不当性

原告の妻は、もともと喫茶店梓を営業していた。昭和四七年ころ原告は、梓ビルを建築することとし、喫茶梓を収容することとした。梓ビルは昭和四九年に落成し、昭和五二年五、六月ころから株式会社梓として運営されることになった。法人化にさいし被告あげての賛同を得ている。すなわち、本訴提起後の被告代表取締役飴谷弘一(当時常務)、井上義則取締役、市本久光被告冷凍部次長、被告子会社丸魚食品藤原利平代表取締役がいずれも発起人として名を連ねたのである。とくに、後者三名は、飴谷本訴提起時代表取締役(当時常務取締役)の推薦による。

右のように、株式会社設立にさいし被告役員が当事者として関与している以上、株式会社を設立することの承認は当然あったというべきであり、その時期の正確さを欠いたということが被告の利益を何ら左右するものではない。

前記のように、届出た会社の設立時期が異っていたことは事実である。しかしながら、設立手続は税理士に任せていたため自分では設立時期の具体的日々がいつになるかも知らずに書いたもので意図的な誤りでは決してない。したがって、虚偽の申告をなしたとはいえない。

(二)  代表取締役の記載がなかったとの理由の不当性

原告が株式会社梓の取締役であったことは事実である。取締役であるから取締役と書いただけであり虚偽ではない。けだし、代表取締役も法的には取締役の一種であること繰り返すまでもない。のみならず、被告は、原告が株式会社梓の代表取締役であることを知っていたのである。株式会社梓の発起人となった被告の前記役員らは、発起人総代(通常社長となる)を原告と定めている発起人会規約書に署名捺印したばかりか、飴谷前代表取締役(当時常務)は原告に対し右署名捺印するさいに「剛さん、明日から社長と呼ばないかんなあ」と述べていたからである。

(三)  株式会社梓の営業目的の記載を虚偽とする理由の不当性

被告は、株式会社梓の営業目的が喫茶飲食だけでなく不動産仲介業等を含むことを書かなかったことが虚偽の申告というが不当である。喫茶業を営業目的としているから、そのように書いただけである。不動産業を書き落したからといって虚偽とは言えない。また、不動産業についても被告は知っていた。すなわち、発起人会規約に株式会社梓の営業目的として不動産仲介業等も含め明記してあるからである。被告の前代表取締役らはこれを認識した上で署名捺印しているのである。

(四)  被告の主張(二)については時機に遅れた攻撃防禦方法であるから、却下すべきである。

すなわち、本訴訟は、昭和六一年以来二年半にわたり審理を続けてきた。裁判所は、同六三年一〇月五日の口頭弁論において同年一二月七日の被告代表者本人尋問、同月二二日の最終弁論期日を予定され、結審予定とまでされていた。

ところが、最終段階の同月二一日付準備書面において、被告代表者は、突然従来から一切主張していない原告の五〇〇〇万円に及ぶ横領という事実を持ち出して、情状とはいえ処分理由だと主張したのである。右主張は、時機に遅れた攻撃防禦方法であるというべきである。

また、原告が被告の金員を横領した事実はない。

第三  証拠<省略>

理由

一  請求原因(一)の前段の事実については当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和二四年三月二二日被告に入社し、配分課に配属されるなど主として営業の分野に配属され、昭和五〇年には営業鮮魚第一部長、同五三年から五六年までは営業管理部長の地位にあったことが認められる。

二  同(二)の事実中被告の懲戒委員会が昭和五六年六月一三日及び同月二五日に原告を呼び出したことは当事者間に争いはなく、<証拠>を総合すれば、懲戒委員会は、前記日の他、同年七月三日、同月一三日にも原告を呼び出したこと、懲戒委員会は、右開催の日時において原告の妻名義のホテルの問題及び株式会社梓の設立の問題について調査をなしたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  次に、同(三)の事実中被告が原告に対し昭和五六年九月一日、「就業規則五四条二号、八号、九号により始末書をとり、格下に処し部長を解く」旨の辞令を手交したことは当事者間に争いがない。

四  原告は、前記就業規則に該当する事由はなく、右格下処分は、懲戒処分権の濫用であって、無効であると主張するので、以下右の点につき判断する。

<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  原告の妻神尾順江は、梓という名前の喫茶店を経営していたが、昭和四九年ころ梓ビルを建築し、喫茶店だけでなく賃ビル業をも経営するようになったため、経理顧問であった中島会計事務所の所長から右順江及び原告は法人組織にすることを勧められるに至った。

(二)  そこで原告は、妻と相談のうえ、梓を株式会社組織にすることを企て、被告の前社長であった飴谷弘一の父親である飴谷武夫に役員になってもらうことを右弘一に相談したところ、弘一は、父親は老令であるから自分が引き受けようと快諾してくれたうえ、株式会社設立のためには発起人が七名以上必要であるということで自から好意にて井上義則、市本久光、藤原利平に発起人に就任するように依頼するに至った。なお当時、飴谷弘一は、被告の常務取締役であり、右井上は、総務部長、右市本は社員であり、右藤原は、被告の子会社である丸魚食品の社長であった。

原告は、右弘一の意思を受けて梓の発起人規約と題する昭和五二年七月二一日付書面を作成し、株式会社梓の発起人として右飴谷、井上、市本、藤原らに押印を求めたところ、同人らは、快く右書面に押印をなすに至った。その際右飴谷は、原告に対し「明日から、剛さん、社長と呼ばなあかんな」などと言っていた。

(三)  原告は、その後の梓の設立手続を前記中島会計事務所に委任していたところ、梓は、昭和五二年八月八日に設立登記手続がなされ、代表取締役には原告が、取締役には原告の妻順江及び妻の母親である岡崎まつらが就任したが、実質は個人事業を延長した同族会社であった。

(四)  ところで、被告においては、昭和五二年七、八月ころから兼職の問題が発生し、塩干部に属していた本間課長が岐阜の取引先の会社の取締役を兼ねていたという理由で任意退職するという事態が発生したが、原告においても、前記井上義則の指示があり、同年九月三〇日付で被告に対し、「今度妻神尾順江経営喫茶梓を株式会社梓と致しますので、取締役に就任する予定となって居りますので御届致します。なお報酬は無報酬です」旨の書面を提出し、さらに、原告において同年一〇月二一日付で前記書面につき被告から承認を戴いたこと、被告の従業員として遵守事項に違反することなく、勤務を遂行する旨の契約書を提出した。

右原告の株式会社梓との兼職問題は、右誓約書をもって一旦収拾された。

(五)  ところが、昭和四一年から被告の代表取締役であった眞田健三は、原告の積極性に注目し、昭和五〇年には原告を営業鮮魚第一部長まで抜擢したが、反面、原告の自己主張を貫く非協調的な強烈な個性のため、ともすれば、原告の属する職場の人間関係が悪化することを懸念し、自己が社長を退任する際抜擢した原告の退社が被告のためには望ましいと考え、昭和五六年六月四日原告を社長室に呼んだうえ、自分は、被告の社長を退いて会長に就任する予定であるが、社長を退任すると原告の面倒をみれないので、株式会社梓の事業に専念したらどうかと原告に被告から退社することを勧めるに至った。原告は、右任意退職の勧につき前記飴谷武夫に相談したところ、やめる必要はないということであったため、約一週間後にやめる意思のない旨を伝えたところ、眞田社長は、原告に対し、「分かった、覚えていろ」と激怒し、その後前記二記載の懲戒委員会が開かれ、同年七月一日付をもって原告は人事部長付部長として職制に属しない旨を通告され、さらに、同年九月一日付で本件格下処分が発せられるに至った。なお、眞田社長は、同年六月一六日に社長を退き、その後任として飴谷弘一が就任した。

(六)  ところで、被告が原告に対してなした本件格下処分は、原告において昭和五二年九月三〇日付で「願」と題して提出した書面の中に、株式会社梓の取締役に就任いたしますとあるのに、梓は同年八月八日に設立されており、提出した日の時点においてはすでに原告は代表取締役に就任していたこと、取締役に就任いたしますとあるが、代表取締役に就任していたこと、さらに、喫茶梓とあるが、梓の営業目的は、喫茶だけでなく不動産貸付業等をも目的とするものであること、等を理由とするものであるが、右各事実は、いずれも事実とは相違ないものの、株式会社梓の設立にあたっては、原告を格下処分に付した当時の被告の代表取締役飴谷弘一及び懲戒委員会を構成した井上義則が発起人として関与していること、また、飴谷弘一は、梓の発起人として発起人規約に自己の印鑑を押捺する際に原告に対し「明日から社長と呼ばなあかんなあ」と言っていること、懲戒委員会の構成員であった宮本保男、荒木正男らは、委員として活動していた際、右飴谷、井上らが右梓の発起人となっていることを知らないまま原告を格下処分に付するのが相当であるという意見を被告に上申していること、原告の提出した願と題する書面に記載のある取締役に就任する旨及び喫茶梓の文言は、表現として不正確さはあるものの、必ずしも誤とはいえないこと、また、被告の営業内容と梓のその内容とは全く異っていて競業関係は生ぜず、梓の経営も実質上原告の妻によってなされているため被告の利益を害したものともいえないこと、また、株式会社梓の設立をめぐる問題は、原告が被告に対し昭和五二年一〇月二一日付誓約書を提出したことをもって一旦収拾されていたのに、前記のように、眞田社長が社長を退任するにあたり原告に任意退職を促したのに原告が応じなかったため懲戒委員会を設置したうえ、原告を格下処分に付するという報復人事としてなされたものであることが窺えること、さらに、本件処分当時の代表取締役であった飴谷弘一の当公判廷における証言には、自分が株式会社梓の発起人であることがわかっていれば原告を格下処分にはなさなかったし、本件格下処分は撤回しなければならないとする供述部分も存するところである。

右認定に反する<証拠>は措信できないし、他に右事実を左右するに足りる証拠は存しない。

なお、被告は、原告が昭和二〇年代後半のころより約一〇年間余りの間に仕入値段の不正な操作等により約五〇〇〇万円を不正に取得したとして、本件格下処分の情状として主張しているところ、右主張をもって、本件訴訟の完結を遅延させたということはできないから、原告のいう時期に後れた攻撃防禦方法ということはできないものの、前記被告の主張に添う被告代表者本人尋問の結果は、裏付ける帳簿等の書証も何ら提出されていないところから、右尋問の結果のみでは原告の不正取得の事実を認めるには足りないものというべきである。

五  前記一ないし四の各事実を総合すれば、被告の原告に対する本件格下処分は、前記四(五)(六)部分に記載したように、眞田社長において原告に任意退職を勧めたものの、これに応じなかったことを契機としてなされたものであるうえ、株式会社梓の設立には本件格下処分当時の代表取締役であった飴谷弘一、懲戒委員会の構成員井上義則が発起人として関与していること、また、懲戒委員会宮本保男、荒木正男らは右飴谷、井上らが梓設立に発起人として関与していることを委員であった際知らないままに原告を格下処分相当との意見を被告に上申していること、また、本件格下処分の理由となった事実は、約四年前に一旦収拾された事由を理由とするものであること、処分当時の代表取締役であった飴谷弘一は、自分が株式会社梓の発起人となっていることがわかっていれば原告を格下処分になさなかったし、本件処分は撤回しなければならないとも述べていること、等の各事実を考え合わせると、本件格下処分は、懲戒処分権の濫用として無効であるといわざるをえない。

六  次に、<証拠>を総合すれば、部長手当は、一箇月三万円であり、原告は、就業規則により昭和六一年三月三一日をもって定年となるが、現在勤務延長の身として被告に在籍しており、右勤務延長の際には職位は当然引き継がないことが認められる。

そうすると、原告が被告に対し請求している昭和五六年九月から同六一年三月分までの部長職責手当請求権のうち一六二万円は、本件格下処分が無効であるところから、理由があるものといわなければならない。

七  次に<証拠>を総合すれば、原告は、昭和五六年七月一日付で人事部付部長に発令されて職制に属さない旨を通告され、以来、人事部長宮本保男、営業部担当専務取締役荒木正男らのもとで稼働することになったが、昭和五六年七月一日から同六一年四月一日までの期間、本件格下処分の辞令以外は、配転、賃金の変更につき辞令が交付されなかったこと、また、昭和五六年七月二日から同月九日までの期間仕事が全く与えられず、その後においても宛名書、調査カードの作成などの単純作業がごく少量与えられたにすぎなかったこと、また、原告の職場での机の位置は、昭和五六年七月一日から他の職員とは切り離され、特に同五七年七月一日から同五八年六月三〇日までの期間は一人職員と離れた事務所の西南角に壁に向かって配置されたため職員に背を向けて座る結果となったこと、また、人事編成表、市場新聞等の書類も回覧されなかったこと、さらに、一時金支給の説明会の通知、昭和五九年度の夏期休暇実施の通知、新事務所に移転した際の職員専用便所の鍵の保管場所の通知等がいずれも原告になされなかったこと、等の各事実が認められる。右認定に反する<証拠>は措信できないし、他に右事実を左右するに足りる証拠は存しない。

前記各事実によれば、被告は、原告を通常の従業員として取り扱わず、原告の従業員としての権利を侵害したものであるから、被告の右各行為は不法行為に該当するものといわざるをえない。

なお、原告の賃金差別の主張については、<証拠>によれば、別件訴訟により解決済であるから、右主張については、既に慰藉されたものと認めるのが相当である。

また、原告の精神的苦痛を慰藉すべき損害賠償額は、前記各事実のほか、前記認定の四、五の各事実、<証拠>によって認められる原告の被告での行状、生活態度等諸般の事情を総合考慮すると、金八〇万円をもって相当と認める。

八  そうすると、原告の被告に対する本訴請求は、本件格下処分が無効であるとの点、部長職責手当請求及び慰藉料請求のうち合計金二四二万円及び訴状送達の翌日である昭和六一年六月一日から民法所定の年五分の金員の支払を求める部分は正当としてこれを認容し、その余の部分については理由がないから棄却し、訴訟費用については民訴法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 水口雅資)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例